メサイア・コンプレックスと言うハニートラップ
バシャールが、2016年秋にすべてが変わる…☆
と言ったせいなのか、
スピリチュアル系は宇宙人も古代日本も陰謀史観も
みんな取り混ぜて百花繚乱ですが、
それらを読んで思うことがありました.
スピリチュアル系にとって
メサイア・コンプレックス(メシア願望、もしくは”救世主気取り”)は
ハニー・トラップだな、と。
間違いなく魔の誘惑です.
難しいのは、
ひとを(他のいきものを)助けたいと思う心は何も間違ってはいないし、
生命体の自然なありようかもしれない、と言うこと.
「樹木は、この溢れんばかりの過剰を
使うことも、享受することもなく自然に還す
動物はこの溢れる養分を、自由で
嬉々とした自らの運動に使用する」
(フリードリッヒ・フォン・シラー)
生物学者の福岡伸一さんは
この詩に対してこう語っています.
「生命の循環の核心をここまで過不足なく捉えた言葉を私は知らない。生命は利己的ではなく、本質的に利他的なのだ。その利他性を絶えず他の生命に手渡すことで、私たちは地球の上に共存している。動的平衡とは、この営みをさす言葉である。」
(『朝日新聞』2015/12/3 より)
ただありのままであれば、
ひとはそのままで利他を、利他とも思わず行うのかも知れません.
「善」と言う概念すらなく、自然の流れとして。
そうあるように生きることが出来れば!
現代人には難しいことかもしれないけれど.
いえ、そもそも「人類には」でしょうか。
★ ★ ★
ハニー・トラップだな、と感じるのは、
メサイア・コンプレックスはどんどん肥大化するから.
善を望みながら、利他を行うつもりで
どんどん我が肥大化してしまうから。
それはちょうど、
大金を抱えて山賊の出る山道を歩いているようなものなのではないかと。
スピリチュアルの道は、
キケンなジャングルや何が出るかわからない恐ろしい山道ですから.
何も持っていなければ、
山賊に襲われる危険も少ないけれど、
大きな荷物を抱えていたら、
すぐに眼を付けられます.
だから、恐らくオーソドックスな宗教(時代と人を越えて陶冶されて来たもの)は
「謙虚」の重要さを説くのでしょう.
物質だけでなく、
こころにも何も持たないことの大切さを.
仏教で説かれる空性(なにもないこと)は、
修行者にしか感得出来ない境地ですが、
それは単に「実体として存在するものは何もない」という
因果論の真実を説いているだけではなく、
密教的なーーー執着する何もなく、
ものにもこの体にも、沸き起こる感情や欲にさえとらわれなければ、
猟師の釣り針が透明な魚を引っ掛けることが出来ないように
どんな罠もすり抜けてしまう…
という究極の「隠身」のシールドだったのかもしれません。
空性を体得した修行者は
壁をもすり抜けるとチベットでは言いますが、
きっとハニー・トラップさえもすり抜けてしまうのでしょう.
「謙虚」で「身軽」。
これが危険な道を歩むものにとって
一番のシールドになるようです。